使用者の義務~賠償予定の禁止
賠償予定の禁止の内容・趣旨
労働基準法16条の趣旨
労働基準法16条[カーソルを載せて条文表示]は、「賠償予定の禁止」を定めています。つまり、会社(使用者)は労働契約の不履行について、違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならないと定めています。
「違約金」・「損害賠償の予定」は、いずれも、契約の不履行が生じた場合に、支払うべき違約金や賠償額を、実害の有無内容にかかわらず一定の金額として定めておくことをいいます。つまり、労働法は、労働者が労働契約について何らかの不履行をした場合に会社に支払うべき金額を、予め定めておくことはできない、ということになります。
また、労基法16条の趣旨は、違約金や損害賠償額を予定することによって労働者の退職の自由を実質的に制限する足止め策を禁止することにあるとされています。
身元保証人等との間の違約金の定めの効力
では、労働者の労働契約の不履行について、労働者本人ではなく、身元保証人等に対し、予め一定の違約金等を負担させる約束をさせることは可能でしょうか。
この点、労働基準法のこの規定は、「賠償予定の禁止」を含む契約締結の相手方を、労働者に限定していません。したがって、当該労働者の身元保証人等に約束をさせることも許されないと解されています。
実損の賠償請求は可能
もっとも、会社が、労働者による労働契約の不履行により現実に損害が発生した場合に、その実損害額を労働者に賠償させること自体、この労働基準法16条によってただちに妨げられることはありません。この規定が禁止するのは、予め、「違約金」「損害賠償額」を定めることだからです。
賠償予定の禁止が問題となった裁判例
労働基準法16条違反が問題となった裁判例を若干ご紹介したいと思います。また近年特に裁判例において取り上げられた海外留学費用の返還に関する問題は、項を改めて取り上げます。
サロン・ド・リリー事件 浦和地裁昭61年5月30日判決
美容室の経営を業とするA社は、新入社員との間で、会社の意向を無視して退社するに至った場合、美容に関する指導訓練に必要な諸経費として、入社月に遡って1か月あたり4万円の講習手数料を支払う旨の契約を結んでいました。
そして、A社に入社したB氏がA社の意向を無視して退職したため、A社は、B氏の在籍期間に対応する7.5ヶ月分の講習手数料の合計30万円を請求しました。
裁判所は、上のような件契約における従業員に対する指導の実態が一般の新入社員教育とさしたる相違はなく、使用者として当然なすべき性質のものであるから、労働契約と離れて本件のような契約をなす合理性は認めがたく、しかも、同契約によって従業員に課される講習手数料の支払い義務が、従業員の自由意志を拘束して退職の自由を奪う性格を有することが明らかであるという理由から、労働基準法16条に違反すると判断しました。
アール企画事件 東京地裁平成15年3月28日判決
美容室を経営する会社と従業員との間に、労働契約とは別の特約が締結され、その契約においては、約3年2か月間の継続就業が義務づけられ、その継続就業に対しては一定の売上げを前提に200万円の就業報酬が支払われるのに対し、この契約条項に違反した場合については、違約金500万円を支払うこと等が定められていました。なおこの500万円の違約金については、会社側が違反した場合には会社も同様の負担をすることになっていました。
裁判所は、従業員が会社に対し負担する違約金を定めた部分は、労働契約に付随して合意された特約の債務不履行について違約金であって、労働契約の不履行について違約金を定めることを禁止する労働基準法16条に反し、無効であると判断しました。
日本ポラロイド(サイニングボーナス等)。事件 東京地裁平成15年3月31日判決
A氏は、B社と雇用契約を締結し、B社のデジタルカメラ販売計画策定等の業務に従事しました。A氏の報酬総額は初年度が1650万円でしたが、さらにA氏にはいわゆるサイニングボーナスとして200万円が支払われました。そして、A氏が雇用開始から1年以内に自発的にB社を退職した場合には、これをB社に全額返還する、という合意がなされていました。
裁判所は、「労働者に労務提供に先行して経済的給付を与え、一定期間労働しない場合は当該給付を返還する等の約定を締結し、一定期間の労働関係の下に拘束するという、いわゆる経済的足止め策も、その経済的給付の性質、態様、当該給付の返還を定める約定の内容に照らし、それが当該労働者の意思に反して労働を強制することになるような不当な拘束手段であるといえるとき」は、労働基準法16条に反すると述べました。
裁判所は、上の事案についても、労働者を自らの意思で退職させることなく1年間会社に拘束することを意図した経済的足止め策であると述べて、労働基準法16条に違反すると判断しました。
海外留学費用の返還に関する問題
問題の所在
この損害賠償の予定の禁止に絡んで比較的多く見られるケースとして、海外留学制度等を設けている会社が、同制度を利用して海外留学等を行う従業員に対し、予め、留学終了後一定期間は自己都合により退職しない旨や、同期間内に退職したときには留学費用等の全額又は一部の金額を返還することの同意を取り付けるというものです。
社員を海外留学させるには多額の費用がかかるため、このような定めを設けようとする会社の考えは理解できますが、法的には、このような合意が労働基準法16条に違反して無効となるのか否かが裁判上争われてきました。
返還約束が有効とされたケース
判例上、返還約束が有効とされるケースもあります。
具体的には、海外留学等が会社の業務としてのものというよりむしろ労働者個人の利益性が強いようなケースで、本来会社が負担すべき留学費用とはいえず、留学費用等の返還義務を定めた合意が、実質的に労働契約とは別個の金銭消費貸借契約と考えられるとき、かつ、帰国後の勤務の有無にかかわらず労働者に返還義務があるが一定期間勤務した場合に返還義務を免除する趣旨のものである、というケースでは、留学費用等の返還の約束が、労基法16条違反にはならないと判断されてきました。
留学が会社の業務としてされたか否かに関しては、海外留学への応募が労働者の自由意思に任されていたか、会社から留学先・留学等の内容の指定があったか否か、留学終了・帰国後の当該労働者の業務と、留学等の内容との関連性などが判断要素とされてきました。
公刊された裁判例としては、長谷工コーポレーション事件(東京地裁平成9年5月26日判決)、野村証券留学費用返還請求事件(東京地裁平成14年4月16日判決)、明治生命留学費用返還請求事件(東京地裁平成16年1月26日判決)等があります。
返還約束が無効とされたケース
他方、留学費用等の返還約束が無効とされたケースもあります。
具体的には、海外留学等が業務命令として行われた場合や、海外留学中に、実際には会社に関する業務も行なっていたというケースでは、本来、企業がその費用等を負担すべきものであると判断され、労基法16条違反になると判断されました。
公刊された裁判例としては、富士重工研修費用返還請求事件(東京地裁平成10年3月17日判決)、新日本証券事件(東京地裁平成10年9月25日判決)等があります。
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